遊星仮面

放映後から現在まで/遊星仮面と私


*パソコンからご覧の場合は押しても変化しません*


TVアニメ作品「遊星仮面」と私(OHYABU)との、半世紀以上にもわたる関わりを通じ、この作品が放映終了後から現在に至るまで、どういう経緯をたどってきたかを記します

また、このサイトの歴史も記します。

遊星仮面について{文 by OHYABU}{イラスト by 妹of OHYABU}

アップルBOXクリエート『遊星仮面(2)』より。
詳細はこちらをご覧ください。


下記の項目をクリックすると、このページ内の説明箇所に移動します。


本放送時~1970年代

本放送時
(1966~67年)

(私)香川県にて、4歳から5歳頃。

1960年代後半

小学校下学年の頃、クラスメート(女)のリュックサックに描かれていたイラストを見て、首をひねる。

「見たことがある絵だ。なんていう名の作品だっけ?」


当時の記憶にあったのは、や○ざのような顔をした男の子がうさぎ頭の妹を守るために、長い髪のマスクの人になるといったことぐらい。

気になったのは、異様に暗いイメージ。

ところが同年代で記憶している人は、まわりには誰もおらず。

どうやら香川県では再放送がなかったらしい。

1978年

ロマンアルバム(6)『スーパージェッター』(徳間書店)の中の、(株)エイケンの制作作品一覧左のリンク先は外部サイトを見て、やっと作品名が判明する。

第一印象「遊星仮面なんちゅうダサい名前

1978年5月

アニメージュ創刊。

雑誌『宇宙を駆けるSFヒーローたち』(朝日ソノラマ)に、第36話のフィルムストーリー掲載。


1970年代後半は、TVアニメ第一世代を対象にしたアニメ関係本が続々刊行された時代。TVアニメ創世記に当たるモノクロアニメの資料も、続々世に出てくる。

なのに遊星仮面に関する情報はほとんど見当たらず。

あっても前時代的SFだとか、月並みなアニメだとかいった、評価の低いものばかり。

制作スタッフに有名人がいないからだと憤慨する。


「違うあの暗さには何か意味があるはず放映当時自分が何を見たのか知りたい


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1981年~1983年

1981年

(私)大学入学のため近畿へ。

1982年

1977年に東京12チャンネルにて単発で再放送された第36話の音声テープを手に入れる。

1982年

古本屋ではじめて放映当時の漫画を手に入れる。

オリジナルの絵(楠高治氏画)を見て感激


この頃になってやっと、自分の記憶にある“や○ざのような顔の意味がわかる。

ピーターのこめかみのピネロンマークが、幼児にはや○ざの傷のように見えていたらしい。

1983年4月

TVアニメ20周年記念上映会」にて第27話上映。in東京。

どうしても上京果たせず、スタッフの方から資料を送っていただく。

1983年5月

画期的な資料が世に出る。『アニメック Vol.30』(ラポート)に掲載された「テレビアニメ20周年記念特集」内での投稿記事。

署名入りで、「遊星仮面」の設定がいかにハードなものであったかということを、2ページにもわたってくわしく述べている。

内容に一部間違いはあるものの、現在での正当な評価につながる非常に貴重なもの。

人種差別問題が盛り込められていたことをはじめて知り、自分の記憶にあった“暗さの意味が判明する。


作品への期待がますます高まり、この頃から全39話すべてを見ることが最大目標に。


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1984年~1993年

1984年8月5、6日

幻の初期エイケン TCJ作品上映会」にて第33話上映。in大阪。

はじめてみるフィルムに大感激。はじめて見る“人呼んで遊星仮面の登場シーンに、仰天。

この上映会会場で、2003年頃までエイケンの広報をご担当されたS氏と初めて接触する。

1984年

東映ビデオから出た「エイケン TVアニメグラフィティ2」にて、第3話収録。

自宅にも下宿先にもビデオデッキがなかったため、大学の視聴覚教室で、まわりの目を気にしながらひそかに見る。


アニメ原画&キャラクターデザイン&漫画版担当の楠高治氏に初めて手紙を出し、返答を得る。

1985年

就職先(in大阪)での東京研修期間中に、(株)エイケン左のリンク先は外部サイトを初めて訪問。

1986年

「東京大学SF&アニメーション研究会 早稲田アニメーション同好会合同上映会」にて、第15話、 16話、 36話上映。

失業中で金欠のため、往復深夜バスで大阪-東京間を日帰りという強行スケジュールを決行。

1987年

新しい就職先でも東京研修あり。またも東京を走る。

その研修中に、楠高治氏と初めて顔を合わせる。


原作&全話脚本担当の足立明氏に初めて手紙を書き、返答を得る。

1990~93年

アップルBOXクリエート(同人誌系出版社)から『遊星仮面全5巻』(=(1)(2)(3)、別巻(上)(下))刊行。一部資料提供とコメント記載をさせてもらう。

(詳細については、【漫画版について】のトップページのこちらを参照。)


〔裏話〕

妹に無理やりイラストをかかせ、当時つきあっていたマッキントッシュ狂いの男に、(2)と(3)のコメントの編集と印刷を強制。

その後その男と別れたために、別巻(上)(下)に入れるコメントの編集と印刷は、私1人で行わざるをえないはめに。


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1996年~2004年

1996~97年

CS放送局のキッズステーションにて第1回目のCS放映。

今の夫と入籍後住んでいた地域(in大阪)には、ケーブルTVが通っておらず、見ることができず絶望していたところ、宇宙少年ソラン左のリンク先は外部サイトファンの友人の好意から、19話以降を録画したテープを送ってもらう。

1997年

第1回放映終了後出版された『別冊宝島330 アニメの見方が変わる本』にて、さっそく“忘れられた逸品として紹介される。

1998~99年

キッズステーションにて第2回目のCS放映。

この時にはケーブルTVが見られる地域に転居していたため、はじめて全39話をすべて見る。

長年の夢ようやくかなう。


全話見ての感想は―――「想像した以上でも以下でもなかった。」

とはいえ、「アニメ史において無視されるような作品じゃない

マイナー扱いは理不尽きわまりないと憤慨し、執着がおさまるどころか、ますますヒートアップ。

1999年

図説 テレビアニメ全書』(原書房)にて、“SFアニメの名作という表現がはじめてなされる。

2000~2003年頃

ホビー誌、フィギュア誌などでたびたびとりあげられる。

2003年頃~

インターネットの普及により、ネット上での記事が増え始めたもよう。

2004年~

(私)インターネットカフェに月イチペースで通い、関連記事を探し始める。


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2005年~2007年

2005~2006年

ホームドラマチャンネルにて第3回目のCS放映。

すでに全話見ているにもかかわらず、DVD、VHSにのべつまくなく録画しまくる。

2006年

漫画雑誌『ビックコミックスピリッツ』で連載中だった「20世紀少年」(浦沢直樹氏作)に、「人呼んで」の合言葉が登場。(→のちに、単行本22巻内に収録。)

2006年7月

『ビックコミックスピリッツ』NO.33での「20世紀少年」関連記事(竹熊健太郎氏筆)の中で、作品そのものが高く評価される。

アニメ史上に輝くハード・ポリティカルSF戦争作品あるいは“こんなにハードな話だったとは等々。

2006年末

(私)自宅にようやくインターネットを開設。

2007年3月頃

ブラジル、ベネズエラでのHPを多数発見。

(検索するさいのキーワードはこちらを参照。)

2007年4月末

NHK-FMの「今日は一日アニソン三昧」で主題歌が流れ、“戦争やめろのフレーズがネット上で話題になる。

若い人たちには衝撃的だったらしい。

2007年11月

楠高治氏の漫画が商業誌ではじめて単行本化。(マンガショップより全3巻。)

フジテレビ271にて第4回目のCS放映開始。

(私)このサイトを開設。


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2008年~2014年

2008年8月

漫画「20世紀少年」(浦沢直樹氏作)の副読本として、『20世紀少年探偵団』(竹熊健太郎氏+20世紀少年探偵団著)という本が、小学館から出版。

前述の、漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』2006年NO.33内の、遊星仮面絶賛の記事が収録される。

2008年12月

フジテレビ271にて第5回目のCS放映開始。(翌3月まで。)

2009年1月~

掲示版<アニメぶろぐなBBS>で、遊星仮面のことが話題になる。

詳細はこちらの表にて。

2012年1月6日

原作&全話脚本担当の足立明氏がご逝去。

2013年5月

遺族により発見されていた足立明氏の小説原稿が、単行本化され初出版される。

タイトルは『砂漠の王子とタンムズの樹』。

「遊星仮面」「妖怪人間ベム」と共通のDNAが感じとれる作品。詳細はこちらのページにて。

2013年7月26日

初の全39話収録DVD-BOX発売。

詳細はこちらにて。

2014年7月~

DVD-BOXの発売によって、作品視聴の機会が増えたせいか、すぐれた創作動画や、新たな視点からの作品解説が、インターネット上にあがってくる。

詳細は、前者については【新着情報】ページ内に記載。

後者については、いわば外部サイトにあたるふぁぼろぐ内に記載。こちらにアクセスを。

2014年9月

9月8~19日に、NHK-FMにて、足立明氏の小説『砂漠の王子とタンムズの樹』のラジオドラマ版が放送される。

詳細についてはこちらのページを。

感想についてはこちらを。

2014年12月~

全39話対象のネット配信始まる。パソコン、スマートフォン、タブレットすべてに対応。

詳細はこちらにて。(←2020年12月初めに配信終了

2014年12月10日

漫画&キャラクターデザイン&メカニックデザイン&アニメ原画等を担当された楠高治氏がご逝去。

追悼ページはこちらに。


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2017年~2020年

2017年7月

CS局キッズステーションにて第1話 と 最終話が放映。

2017年7月29日
~10月9日

企画展「エイケンアニメ展 ~あの名作は荒川区で生まれた~」が開催。東京都荒川区「ゆいの森あらかわ」にて。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は不明。)

2018年3月30日

廉価版の全39話収録DVD-BOX発売開始。

詳細はこちらにて。

2018年10月

『グレートメカニックG』2018秋号(双葉社)が発売。遊星仮面についての詳しい分析記事あり。

詳細はこちらにて。

2018年12月28日

主人公の遊星仮面とピーターの声を担当された藤田淑子氏がご逝去。

2019年4月20日
~6月23日

エイケン50周年展~アニメサザエさんと共に~」が、東京の長谷川町子美術館にて開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)

2020年10月9日
~11月8日

テレビアニメーション創成期から現在までの50年 -エイケン制作アニメーションの世界-」が、福井県立美術館にて開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)


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2021年~2022年

2021年3月

アニメと戦争』(藤津亮太/著 日本評論社)」発売。

2018年10月に発売された『グレートメカニックG』2018秋号(双葉社)に記載された、遊星仮面についての分析記事が、ほぼ転記。

詳細はこちらにて。

2021年4月11日

東京のラジオ局・文化放送の「純次と直樹」という番組で、遊星仮面についての言及あり。

このアニメがすごい!1966年放送「遊星仮面」」というコーナーにて。


純次とはタレントの高田純次氏。直樹とは漫画家の浦沢直樹氏。

大阪在住の私は聞くことができなかったが、番組公式X(旧ツイッター)によると、次のような会話がなされたとのこと。

浦沢氏「当時6歳の浦沢くんには難しい話だった」

高田氏「当時19歳の俺でもわかんないかもしれない」

浦沢氏「『宇宙戦艦ヤマト』とか、『機動戦士ガンダム』とか、ちょっと小難しい話が出てくる。その先駆なんじゃないかなって」

2021年3月27日
~6月27日

アニメサザエさんとともに50年-エイケン制作アニメーションの世界-」が、兵庫県丹波市立植野記念美術館にて開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)

2021年8月4~23日

アニメサザエさんとともに50年―エイケン制作アニメーションの世界―」が、神奈川県の横浜高島屋にて開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)

2022年2月22日
~3月27日

アニメサザエさんとともに50年-エイケン制作アニメーションの世界-」が、広島県福山市ふくやま美術館にて開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)

2022年4月~

(私)このサイトで画像表示を始める。詳しくは【放映当時の資料(スキャン画像)】ページから。

2022年4月23日
~5月15日

アニメサザエさんとともに50年-エイケン制作アニメーションの世界-」が、北海道札幌市のJRタワー プラニスホールで開催。

遊星仮面の資料も公開。(管理人は見に行けなかったため、詳細は記載できず。)


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2024年~

2024年7月

私のペンネーム・OHYABUと、このファンサイトの名称が、初めて書籍に記される。

書籍は『TH(トーキングヘッズ叢書)No.99 イノセント・サバイバー~迷える子の生きる道』(アトリエサード 2024/7/30発売)。

そのなかの記事「山野浩一とその時代(28)/寺山修司と『人形劇 こがね丸』」(150~153頁)にて。記事の筆者は岡和田晃様。

記事には、【TVアニメ「戦えオスパー」(1965~67年)について】ページの参考:録音音声項に添付している音声ファイルの音声から、『オスパー』のエピソード部分が文章化され、記されている。