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「宇宙パトロールホッパ」(第1~26話)。改題して「パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン」(第27~44話)。
1965年2月から11月まで放映された、東映アニメーションのTVアニメ作品です。
「遊星仮面」と同じく、幼児期の私に強い印象を与えた作品。そして「遊星仮面」と同じく、ほとんど記憶に残せなかった作品です。
私にとっては、2006年にDVD化された4話分(第1、14、21、27話)しか見ていないも同然。
詳細を説明できないため、とりあえずは、東映アニメーションの公式ホームページをご覧ください。
上記4話分について私は、掲示板<アニメぶろぐなBBS>の、スレNo.545:「宇宙パトロールホッパ」視聴感想(2010年5月13日~)に、感想などを書き入れています。
スレは現在ではレインボー戦隊ロビン・ファンサイトの【過去ログ集】ページ内に収納されています。
※【過去ログ集】ページのURLは、当サイト【リンク】ページ内のこちらに記載。
そのなかから、第21話「太陽の子ライマン」についての “感想的あらすじ”を、以下に転記します。
若干修正を加えていますが、ほぼ原文どおりです。
説明不足な部分もあるかと思います。
それでも、少しでも、ある意味理不尽に埋もれたこうした作品に光を当て、残ったフィルムをすべて視聴可能なようにもっていければと。
それは、しいては今後の日本のアニメーション文化の発展のためにもなると、私は本気で考えています。
(以上 2015年2月22日記)
ライマン。
どこで生まれ、どこから来たのかわからない、異星人(おじさん)。
光が、彼のエネルギー源(=食糧)です。口から吸いとります。
彼の目的は「太陽」へ行くこと。
(正しくは太陽ではなく、ホッパ星の太陽にあたる恒星ですけど。)
ホッパ星に来てからは、生きるためだけではなく、太陽行きのためのエネルギーを得ようと、光を吸い続けます。
人工太陽から車のライトからあらゆる光を食らい、ライフラインを完全にマヒさせ、悪者のようにふるまいます。
攻撃されると、大きく鋭い目から光線を放ち、相手をしびれさせます。
当然のことながら追われる身に。
そんな彼も、子供たちだけには絶対に手を出しません。
子供たちを泣かせるようなことも、いっさいしません。
子供から奪った光は、ちゃんと目から戻してあげます。
そればかりか、自分の命すらかけて、子供たちを救うのです。
孤独な人でした。
誰も信じず、信じてはいけないと思い込んでいました。
なぜなら彼の一族は、だまされ、彼以外は皆殺しにされていたから。
当時、彼はおそらくは無力な子供だったのでしょう。
子供たちには、自分のような苦しみを経験させたくないと思っていたのかも。
彼は、自分が受けた苦しみを、他者にぶつけて解消するタイプではなく、他者には味わわせないよう全力をつくすタイプの人間だったのです。
子供たちがまっすぐに成長し、他者をだましたり苦しめたりする大人にならないよう、願っていたのです。
ですが、彼にそんなやさしい心があることなど、誰も理解していませんでした。
というか、彼自身がハナっから理解されないものだと、思い込んでいたのです。
自身の異質で強力な力が他者にどう映るかを、常にマイナスの方向で考えていたために。
子供の時のトラウマと、おそらくはその後の経験から、常に身の危険を感じていたからかもしれません。
生きていく上では、どこかで他者にたよらなくてはいけないところがあるはずなのに、それすら拒否。
「寄るな、俺は悪い奴だ、悪魔なんだ!」とか言って、他者との関わりを最初っから断ち切り、言葉どおり悪い人間を演じてしまうのです。
それでも、いやおうなしに他者と関わってしまう。それも悪い形で。
生きるためには、彼の場合、他者のライフラインを壊さざるをえないのです。
そればかりか、時には命までをも犠牲にしてしまうこともあるのです。
ライトの光を奪われために、暴走し爆発してしまう車も。
乗っていた人は死んでしまったかもしれません。
おそらく、今までにもそんなことは頻繁にあったはず。
他者を遠ざけるにもかかわらず、生きるために他者を犠牲にしてしまうジレンマ。
表向きは全然平気な顔をしていましたが、内心ではとても苦しんでいたはずです。
特に子供たちを巻き込みたくないとの思いが強かっただけに、よけいに。
こんな自分が他者から受け入れられるはずはないという、深い絶望とともに。
それでも、生きていかなくてはいけないのです。
だからこそ、彼は太陽へ行きたかった!
食糧の心配をしなくてすむために――
生きるために誰かを犠牲にしなくてすむために――
他者から疎まれたり傷つけられたりしなくてすむ力を得るために――
身の安全と心の平安を得るために――
太陽という最大の食糧源、最大の力を手に入れたかったのです。
それもできるだけはやく!
思い込みもあったかもしれません。
太陽に行くと自分の肉体はどうなるのか についての考察は、まったくありませんでしたから。
ただとりつかれたように、行けば何とかなるとの漠然とした希望のままに、太陽をめざすのです。
ただひたすら、生存のための力を得るために。
さらに、太陽行きには、彼の別の思いもありました。
スーパーマンになって、宇宙の平和を守りたいという。
それは、悪者扱いされ続けていた悔しさからくる反動であると同時に、今までの罪滅ぼしの気持ちもあったのでしょう。
そして、子供たちを守りたいという本気の思いもあったのだと思います。
そんな強くやさしい心を、彼に助けられたプーとルビーは受け止めていました。
2人の訴えを受け、ジュンは彼と対峙します。
子供たちの救助のために失われたエネルギーを、危険なエラン原子炉から補給しようとしていた彼を制止。
望むなら、太陽まで行くエネルギーを提供してあげると、救いの手を差し伸べます。
でも彼は拒否。
パニックになっていたのかもしれません。
はじめて差し出されたあたたかい救いの手に動揺し、どうしていいかわからなくなっていたのかもしれません。
信じるな信じるなと、必死で思い込もうとしていたのかもしれません。
結果、ジュンの制止を振り切り、原子炉に突入するのです。
そして大爆発。
彼は、ジュンに看取られて死にます。
こんな愚かな自分の最期を忘れないでいてほしいとの願いを遺して。
あざやかな朝日のなかで。
1年後、彼の心は、ジュンやプー、ルビーの口を通じて、他の子供たちにも伝えられます。
あの日と同じような、あざやかな朝日の中で。
ジュンは言います。
「ぼくたちはライマンのことを絶対に忘れてはいけないんだ。ひとりぼっちのスーパーマンがどんなみじめな最期をとげたか。」
子供たちは言います。
「ぼくたちもライマンのように強くなろう。」
そう、ひとりではなくみんなで。
ライマンは強くやさしい人でした。
子供たちにとっては、見本ともなれる人でした。
乱暴者を気取り、強がりを言っていましたが、ほんとうは繊細な寂しがり屋さんでした。
だからこそ、もっと人を信じればよかったのに。人をたよればよかったのに。
でもそれは、もともとは彼を受け入れず、信じなかった側の問題でもあります。
彼のように強くなろう。そして人を信じ、人をたよろうよ。
みんなでいっしょに。
(完)
―――――
“みじめな”とのセリフが少しひっかかりますが、 決してライマンを見下したり批判したりする意味ではないことは、全体を見通せばわかります。
なお、ライマンの声を担当されたのは、故内海賢二さん。「遊星仮面」でも、傑作第9話の ステッキィーや、 第30話のゴードンなどの声を担当されています。
この作品に関しては、BGMも非常に秀逸です。もの悲しい「ライマンの歌」です。
どこかに音源、あるいは楽譜が残っていればいいのですが……。