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「人間、これ殺し合うもの」なれど、人類は平和をめざす
などど、勝手にキャッチフレーズを創ってしまいましたが…。
「遊星仮面」「妖怪人間ベム」の原作&全話脚本担当者・足立明氏の小説です。
1987年、氏に初めてお手紙を差し上げたさい、ご返信で、掲載誌のコピーをいただきました。
掲載誌が「世論時報」という雑誌ということですが、掲載年月日は、いまだ正確にはわかりません。(広告の内容を調べたところ、1981年頃のようですが。)
公開済作品ではありますが、ほとんどの方がご存知ないはずですので、未公開同然ともいえます。
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ここで足立氏が言及されておられる「イデオロギー」とは、21世紀の現在、世界的な問題となっている「宗教」ともオーバーラップするものなのかもしれません。
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6話と7話(最終話)のタイトルについては、私が少し言葉を加えました。
それ以外は、元々のタイトルがわからなかったので、私が勝手につけました。ご了承ください。
昔人類は、3つの種族に分かれていた。
農耕中心の<平野(へいや)族>。狩猟中心の<山岳族>。そして、もとは遊牧民族だったものの<山岳族>から火を教わり、河川、沼、湖といった水ぎわに定住した<水ぎわ族(=カッパ)>。
3種族とも、共通の神をいただく大地(地球)の子であるとの共通意識を持ち、それぞれの長老たちの尽力のもとで、平和共存をはかっていた。
互いの領域は荒らさない。その代わり<水ぎわ族>は魚介類などの水産物を、<平野族>は穀物や果物、繊維製品を、<山岳族>は肉や毛皮や燃料を、それぞれに提供し合い、助け合って生きていた。
しかし、いつしか「不信の時代」へと入っていく。
きっかけは、<山岳族>の欲の拡大に、<平野族>が警戒心を持ったことから。
神から教わったことだけでは満足せず、単なる毛皮からではなく羊の毛で服をつくり、それでも満足せずポケットをつくり、そのポケットにいれるものを欲しがってきたと、感じたのだ。
やがて<平野族>は、<山岳族>による侵犯を防ぐため、軍備に着手する。
<山岳族>は驚くも、<平野族>が<水ぎわ族>と仲が良かったこともあり、いくさをしかけて勝てたとしても自らが被る痛手も大きいと判断し、しばらくは鳴りを潜めることにした。
そんな時、事件が起きる。
<水ぎわ族>の長老の末娘イナと<平野族>の長老の息子とが川辺で愛し合っている最中、突如矢が飛来し、<平野族>の長老の息子が命を落としたのだ。
犯人が見つからないまま、さらに不幸な事件が立て続けに起こる。
そんなおり、けんめいに事を治めていた<平野族>の長老が事故死。
これで、すべての均衡が崩されてしまう。
<水ぎわ族>は最も平和的な種族であった。
にもかかわらず<平野族>は、すべての事件・事故を彼らの陰謀とみなし、襲撃して全員虐殺してしまう。たったひとりの女の赤子を除いて。
<平野族>もそのあと、<山岳族>の攻撃を受けて滅びる。
<水ぎわ族>の長老は、死の直前、イナと生き残っていた者たちを集め、全員の心を入れ込んだ剣をつくる。
人間がたとえ殺し合うものであったとしても、それでも人類の平和を願い、いつかいくさのない日の来ることを祈って。
やがて平和の願いのこめられた剣は、イナが産んだハーフの赤子とともに、わら舟とともに流されてゆくのであった。
高天原の日母山にて。
須佐乃男命(スサノオ)は、姉の天照大神から、高天原の北(出雲地方)を治めるように命じられる。
最初、火山の点在する新地開拓に向かわされることに反発するが、やがて命に従い、日母山を降りる。
やがて、谷間の小さな村にたどりつくが、そこにはなぜか年頃の娘たちがいない。
長のアシナヅチとその妻テナヅチに理由をたずねると、<山岳族>が来て娘たちを連れ去ったからだと言う。
彼らは自らを<平野族>と名乗る。もともとは川下の肥沃な地に住み、農耕にいそしんでいたのだと。
<山岳族>が山を崩し、鉱物を取り出すことから、山の神は怒って火を噴き、マグマが噴出し、それによって木々が流れるなどして川が氾濫。
困り果てた彼らは、せめて連れ去られた娘たちの近くに住もうと、川上に上がってきたのだというのだ。
<平野族>は、自分や天照とつながる“天孫族”。スサノオは<山岳族>を倒すことを決める。
そして、アシナヅチとテナヅチの末娘イナタを、<山岳族>のもとへと酒を持って向かわせる。
彼らが酔ったところを、すきをついて襲撃。鉄剣に難儀しつつも、彼らを圧倒する。
しかし命までは奪わなかった。連れ去られた女たちによる命乞いによって。すでに彼らの子を宿していたのだ。
イナタも、命まではとるなと言う。奪われていた自分の宝剣が、とり戻せたから。
その剣が放つ願いを、感じたとったからであった。
じつはイナタは、たったひとり生き残ったあの<水ぎわ族>の赤子。
アシナヅチとテナヅチが、川からわら舟を見つけ、剣ともども救い上げ、実娘として引きとり育てていたのである。
やがてイナタはスサノオの妻となり、大国主命ほか多くの子を産む。
<水ぎわ族>の剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、のちに草薙剣と呼ばれることになる。
中臣鎌足は中大兄に進言する。
もともと(出雲の)<平野族>のものだったこの国は、飛鳥(大和:ヤマト)の<山岳族>に奪われ、彼らの天下におさまっている。
しかし蘇我一族を滅ぼせば、正当な<平野族>の血を引く自分たちに、飛鳥(大和:ヤマト)もひざまずくはず。
さらには、朝鮮へ攻め入り、やがては唐を征討すれば、誰が見ても日本の王になると。
鎌足の野望は、神社を治める権利の独占にあった。そのためにも、天叢雲剣を得る必要があった。
神社を治める権利は、当時の絶対的権力であり、天叢雲剣は、最も位の高い神社に奉納されるものとされていたからだ。
そのうえで、さらに中大兄に進言する。天叢雲剣を含めた三種の神器を持つことを、正当な皇位の象徴としろと。都は志賀に移せと。
一方の中大兄も、とどまることを知らぬ権力欲にかられており、それゆえ鎌足の進言に従う。
長らく皇太子の地位にとどまり、事を着々と進めていく。
そんななかでの、白村江での大敗…。
今までの専制政治への反発が吹き上がり、あせった2人は、信頼回復に向け事を急ぐ。
都を志賀に移し、中大兄は天智天皇に即位。物部氏からとりあげた天叢雲剣は、他の神器とともに神社にまつられた。
しかしその剣が、謎の若い美女に盗まれてしまうのだ。
盗んだのは、瀬戸内海の小島のとある漁村から来たイナコ。
彼女の村は、<水ぎわ族>の末裔たちの村。そこにはある話が伝わっていた。
自分たちは、出雲からこの地に来た。
出雲は、自分たちの祖先<イナタの母>の国。
<イナタの母>はたくさん子を生み、その子たちは幸せに暮らしていた。
しかしヤマトがやってきて、国を奪い民を殺し、<イナタの母>を持っていってしまった。
<イナタの母>は、今は天叢雲剣という名になって権力者にまつられているが、あの剣は真の平和を築く者しか持ってはならないもの。本来は女性が持つもの。
権力のために使う者がいたら、取り戻せ、自分たちはそのためにこの地にやってきた、と。
そして、今こそ剣を取り戻せとの命を受け、イナコはそれを実行し、成功したのだ。
しかし、鎌足がさしむけた沙門道行という僧が、イナコとこの漁村を突き止める。
イナコが海に出ている間に、村人たちは全員虐殺されてしまう。
剣を取り戻した沙門道行たちは、都へと帰る。彼らの船の底に、イナコがはりついているのも知らずに。
翌年、剣を持ち帰った沙門道行は、“褒美”として死罪になった。
鎌足の死後、天智天皇は、馬に乗っている時、ひとりの美しい少女に首をはねられ、死んだ。
日本書紀にはしかし、“沙門道行が神剣を盗んだ” “天智天皇は病死された” と、記されることになる。
壇ノ浦の合戦の直前。
北条政子の侍女イナヨは、政子に告げる。天皇家にある三種の神器のひとつである草薙剣を政子が持ち、国を平定し平和な世をつくるよう、神のおつげがあったと。
それを、頼朝が持つべきと解釈した政子は、その旨を頼朝に伝える。
頼朝は、イナヨの首をはねたあと、戦場にいる梶原景時に向け密書を出す。必ずや宝剣を奪取せよと。
それとは別に、草薙剣を含めた神器や安徳天皇などを救えとの命が、義経から出されていたが、こちらは景時には伝えられていなかった。
恩賞の権利を義経以外に渡したくないとする弁慶のしわざであったが、そのことで景時は、義経への不信を強めることになる。
同じ頃、特牛郷(こっといごう 山口県西海岸土井ヶ浜とその奥地一帯)の宿に、<水ぎわ族>の末裔たちが集まっていた。
土井ヶ浜は、かつて虐殺された彼らの祖先たちの骨が埋まっている地。
宿の主人は語る。今こそ草薙剣を奪い返せと。
女性が持つなら、平和が築かれるよう霊力を発揮する剣。しかし使う者によっては、かえって世を乱す。
このいくさを終わらせるため、イナヨを使って政子に剣を持たせようとしたが、失敗した。
ならば、我々の手で平家から剣を取り上げるしかない と。
やがて合戦は始まった。平家と源氏と、ひそかに<水ぎわ族>が加わった三つ巴の戦いが。
<水ぎわ族>は平家から剣を奪わんとし、同じく剣を奪いに来る源氏相手にも戦う。
やがて平家は劣勢になり、二位の尼は孫の安徳天皇と剣を持って入水。
つかさず、イナヨの末の妹のイナメが水中に飛び込む。
瀕死の二位の尼から剣を取り上げるが、そのさい幼い安徳天皇も一緒に助けだす。
草薙剣のみが回収されなかった責任を、景時は義経に押しつける。
猜疑心の強い頼朝は、義経追討を命じる。
こうして剣は<水ぎわ族>の手に渡った。
彼らは安徳天皇をかくまい、真の治世者の出現を待つことになる。
斉藤道三が治める、稲葉の国。
川辺で、うつけ者と言われていた織田信長と、道三の末娘の濃姫が初めて出会う。
その頃道三は、不思議な剣を眺めていた。ため池をさらったら出てきたとして、(不和の)息子の義竜からもたされたものだ。
刀身に写っている自分の顔を見つけていると、刀身から粒子が複数浮かび上がり、その1つの中に取り込まれてしまう。
いきなり、兵のひとりとしてなって、合戦の中に。
道三は、すぐに自分が何をすべきかを思い出し、敵の中に切り込み、敵将の首をはねる。
すると一変して、今度は百姓一家の父親に。
家族とともにいくさから必死で逃げるも、家族は馬に押しつぶされたり矢で射られたりして、殺されてしまう。
さらに、別の粒子の中に取り込まれ、次々といろいろな場面に遭遇する。
あの<水ぎわ族>の殺戮現場を目撃し、原爆のきのこ雲を見、そして家族が集うある洞窟の中に。
握り飯を分け合って食べる平和な家族風景が、一転、手りゅう弾を使っての自決へと。
手りゅう弾が爆発する瞬間、道三は飛び出し、剣を抜いた。
爆風と破片から剣が救ったのは、まだ5歳の女の子だけだった…。
次から次へと襲いくる事態に、道三は観念する。
これは要するに、不和の息子義竜からの攻撃から逃げるすべがないということなのだと。
自分がこれまでにしてきたことが、自分に降りかかってきたのだと。
そして光の中に…。
声が聞こえてくる。お前たちはなぜに殺し合うのか と。
力や権力を誇示し合うのは、殺し合いのもと。かたよった愛国心はいくさを起こし、物心の優越感は人の命をおろそかにする。
歩みの遅い者には、前を進む者が手を引いてやり、悩める者にはなぐさめの言をかけ、病める者にはいたわりの手をさしのべることこそ、本当の幸せであろうに。
お前の持つ<カッパの剣>は、<水ぎわ族>の平和への祈りと、私の願いを込めてつくられたもの。お前たちがそれをどう使うかは勝手である と。
数日後。
道三は濃姫に剣を持たせ、「いくさのない世をつくれ」と織田信長に嫁がせる。
義竜には、あえて自分のいる稲葉山城の弱点を教える。
道三には、自分が義竜に裏切られて死ぬことも、濃姫が信長とともに自害することも、わかっていた。
目先の未来は変えられなくとも、はるか先のよりよき未来をつくろうと、決意するのであった。
太平洋戦争時の沖縄戦さなか。
アメリカ兵の兄弟が、戦場での再会に喜んでいた。
そこに、近くの亀甲墓の中から、赤子を背負ったひとりの日本人少女が現れ、兄の方を竹槍で突く。
すぐに少女は、背負っていた赤子ごと、ありったけの銃弾を受け、倒れる。
「ジャップめ!」
傷ついた兄を抱いた弟の胸元には、十字架が光っていた。
時はさかのぼり、3月。アメリカ軍上陸。
迎え撃つ沖縄守備隊は、<水ぎわ作戦>を捨て、内陸決戦にかけることにした。
野戦病院となっていたとある女学校は、やがて、総攻撃を前にして閉鎖されることになる。
学業半ばで准看護士として働いていた女学生たちには、卒業証書と手りゅう弾が手渡され、家に帰される。
静代も、そうした女学生のひとりであった。
弾丸が飛び交うなか、必死で家族のもとへと向かう。
途中で、両足が吹き飛んだ兵士と、彼を介抱する民間人の男性と出会う。
兵士の傷は、手のつけようがない状態だった。
彼から逃げろと言われるものの、後ろ髪をひかれる思いでいる静代に、民間人の男性が提案する。
生きのびれれば彼の家族に、彼の死にぎわを知らせてあげようと。
やがて静代は家族と合流する。
父母、弟妹たち6人で亀甲墓にこもり、手りゅう弾で自決をはかる。
しかし、すぐに彼女は正気を取り戻す。彼女のは不発弾で、背中におぶっていた赤子も無事だった。
目の前には、家族の血肉が四散した惨状が。
気が動転し、手足や内臓をかき集めている彼女の耳に、墓の外にいるアメリカ兵の気配が。
突き上げる復讐心に、彼女は竹槍を持って外へ飛び出す…。
姉の無残な死を、たった1人生き残った妹の稲子が、墓石の隙間からみていた。
5歳の彼女は、抱いていた桐の箱から突如現れた、光り輝く剣によって、爆風と破片から守られ、助かっていたのだ。
そのまま、重い剣を引きずったまま歩き、知念の岬へと。
そこへ「ジャップめ!」
十字架をつけた男――姉が殺したアメリカ兵の弟が発砲し、彼女の体は海へと落ちる。
人類は、今や銀河系宇宙に広がっていた。
各地に散らばった末裔たちからは、共通の母<地球>の子という意識は薄れ、地球という存在も忘れさられていた。
この頃の大きな勢力は2つ。
<ハザード星国家>は、400にも及ぶ星を統一して、それを支配することにより戦争を回避し平和を築こうと、武力を行使していた。
<スタニヤ星国家>は、話し合いとバランスのとれた貿易によって星間協定をつくるという、平和外交の姿勢を保っていた。
2国がにらみ合うなか、裏切りによってスタニヤは、ハザードからの攻撃を受ける。
皆殺し作戦に遭遇し、勝ち目がないと悟ったスタニヤは、生まれたばかりの王子を貨物船に載せ脱出させるが、それも追撃を受けることに。
船には、インナという名の女性も乗っていた。
意識を取り戻した彼女が見たのは、手りゅう弾を使っての6人家族の自決。
持っていた剣で、なんとか女の子だけは助けるものの、現場のあまりの残酷さに気を失う。
再度目覚めると、元の船内。艦長からは、船は光を越え、ハザードの攻撃も及ばないはるか遠くにまで逃げ切れたことを知らされる。
彼女のそばには、護身用の剣が置いてあった。
じつはインナは孤児で、のちに養父となってくれた艦長により、ある星でその剣とともに拾われていたのだ。
船は未知の星に降りていた。インナたちは、宇宙船から外に出る
現在知的生物はいないが、かつては生存していたことを証明する遺跡が。コンピュータ・ルームがあり、記録盤が残されていた。
記録盤は既存の規格ではないため、インナたちが使うコンピュータでは、解読できなかった。
しかし、コンピュータの修理技術者であり生物学者であり電子人間頭脳学を専門とする彼女は、自分の脳波を同調させて、なんとか自分たちのコンピュータに読みとらせようとはかる。
やがてコンピュータは反応した。
インナは、自分が一瞬、2万2千年前の沖縄に飛ばされていたことを知る。
自分が助けた少女は、のちに十字架をかけた男に撃たれたことも知る。
この時代、十字架が<偉大なる力>の象徴だったことも。
では神が少女を殺させたのかの質問には、コンピュータは答える。
持っていた剣が彼女を守り、そのさい起こった特殊な振動が時空にゆがみをつくり、断崖から落ちる速度に同調して、2万2千年語の未来に運ばれたのだと。
つまり、神が少女を生かした、と。
その少女が今の自分と知り、インナは驚く。自分が自分を救っていたのだ。
さらには、この地が地球で、住んでいた人類はいくさで死に絶えていたことも知る。
コンピュータは語る。
「神は、自分の姿に似せておつくりになった自分の子供が、本当の幸せをみつけるまで涙を流しながら、何年も何年も待っておられるのです。あなたがあなたを助けたのは、あなたを再び地球にまねいて、もう一度それを試された偉大なる神の意志なのではないでしょうか」と。
さらに、インナが持つ剣は<水ぎわ族>がつくったもので、そこには「先に行く者は遅れる者の手を引き、豊かな者は貧しきものに分け与え、悩める者には言葉をかけ、争いもなく本当の幸せをつかめ。本当の幸せとは、たとえ貧しくとも、誰が何と言おうとも、正しく生きることだ」との言葉が見える と。
そしてインナが<水ぎわ族>、つまりカッパ一族の末裔だとも語る。
インナはこの地球で、幼い王子とともに生きる決意をする。
自分たちの故郷、この地球で。
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正直、違和感を感じる部分はあります。
たとえば第5話。他の回以上に、前後の状況が明確でないこと。斉藤道三の人格設定への違和感。後にさまざまな虐殺を行うことになる信長に、平和をたくすのはなぜ?といった疑問など。
また、現在あらゆる人が読むのを前提とするにあたっては、日本人的発想にのっとった“神”の存在が、問題です。
普遍性に問題がないかどうか。たとえば十字架は、イスラム教世界においてはまるで違う意味をはらんでいますから。
しかし、物語を貫くテーマは明確で、重い。
このまま埋もれさせるには、あまりにもあまりにも惜しい!
文章は、小説の形をとったシナリオ といえる形態なので、ある意味不完全、ある意味読む側がいろいろ想像をふくらませられるようになっていると感じます。
実際、私の頭の中にも、いろいろな場面が浮かんできますから。
それゆえ、ぜひこの作品を、再び世に出していただければと。
この作品は、映画やドラマ(映像でもラジオでも)のすぐれた原作、あるいは原案として、さまざまに派生させられる可能性があります。
そのさい“神”は、いわゆる既存の宗教の神ではなく、地球の意思、宇宙の意思として扱っていいかと、私は思っています。
完全未公開だった足立氏の小説『砂漠の王子とタンムズの樹』(詳細についてはこちらを)は、2013年に単行本化され、発売されました。
これに至るまでには、ご家族の方々の並々ならぬご尽力があったとお聞きしています。
そのかいあって、ラジオドラマにまでなりました。
この『カッパの剣』も、どこかの出版社にて再公開を行っていただき、『砂漠の王子~』同様皆様の目に触れられるようになればと、切に切に祈っております。