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『チ。―地球の運動について―』。「禁じられた真理」を探求する人々を描いた一大叙事詩。(←公式HPより。)
このページには、TVアニメ版の感想を記した、2025年3月21日以降のX(旧ツイッター)上での記述を転記しています。
それらを時系列に並べ、適当なところで区切り、下記のように並べてみました。
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略する場合は(略)と記載。あからさまな誤字脱字は訂正。URLはほぼ削除か該当するページ名に変更。それ以外では原則原文を記載。(重要箇所にはリンクや太字や色づけなどの処理も。)
『チ。-地球の運動について-』25話(最終話):
アルベルトは大学へ行く。ラファウ先生に父を殺された心の傷を、司祭(ヨレンタを助け殺されたシモンの友人)が癒してくれたことで。
ドゥラカが出した手紙は届いてて、かの本のタイトルを偶然耳にしたアルベルトは「?」。
彼は後にコペルニクスの師となる。2025/3/21
<アルベルトの少年期:学術系サロンでのラファウ先生の演説>
過去の書物や異国を見ると、それぞれに異なる歴史/文化/信仰がある。
今後更にそうしたものと繋がっていくなら、「真理は発見されるものではなく作られるもの」との見方がある種前提となり、「真理さえも相対的」だとみなされていく。2025/3/21
そうなれば、人の心から「絶対不変の真理」という理念に対する畏怖や崇拝が薄れ、全ての研究活動は専門化していき……
「知」の総体に触れたいという崇高な欲望 かつ学術の未来において何よりも重要な才能である筈の「好奇心」が、バカげた不要なものとして唾棄されるかもしれない。
――とラファウ先生。2025/3/21
<アルベルトの少年期:彼の父を殺してのラファウ先生の演説>
ラファウ先生はサロンを途中退席。
天体観測をし忘れたことに気づいたアルベルトも続いて退席。自宅に戻ると先生が父を殺してた…。
凍り付くアルベルト。
先生は、これは不本意な事態であり、君ならこの状況も理解できると平然と。2025/3/21
ラファウは語る:
君(アルベルト)の父が、自分がずっと探してたある資料――宇宙の形を根本から変えてしまう画期的な説に関する資料を持ってることを知り、ぜひ情報を共有して研究しようと提案したが、即拒否された。
粘り強く説得してたら、怒り始め、最後には「資料を燃やす」とまで言い出した。2025/3/21
「正直言ってあの説は君のお父さんの手には余る代物だ。僕の頭脳と社会的地位がなければ宝の持ち腐れに終わる。協力の見返りも十分与えるし、双方が得する提案だった」が…… この説は現状の宇宙論とは異なり、弾圧される危険もあり、子供もいるし危ないことはしたくない――と言われ拒否されたと。2025/3/21
「随分心配性だ。弾圧の危険なんて「政治」次第で幾らでも避けられる。なのに聞く耳を持たない」「「知」だの「学び」など言っておいて、所詮保身に走る俗物だったわけだ」
とにかく取り乱して今にも何かしそうだったから、やむなく「落ち着かせた」(=殺した)んだと、ラファウ先生は平然と語る。2025/3/21
「君のお父さんは「知」を共有しないで独占してた。それはあってはならない罪だ。そういう考えは排除すべきだ」「この状況で大切なのは、これで君のお父さんが受け継いだ「知」は失われずに済んだってことさ。この世の美しさのためなら、犠牲はやむを得ない」
――と、ラファウ先生は殺人を正当化。2025/3/21
ラファウ先生はこの「演説」後すぐ村人達に捕らえられ、アルベルトは彼のその後は知らないと。
(※おそらく処刑された。
先生は「政治」次第で弾圧は避けられると言ったが、その「政治」で彼の運命は決まってしまったと思う。
アルベルトの父は、その土地の権力者と懇意だった。権力者が許す筈ない!)2025/3/21
<アルベルトと司祭>
アルベルト
「父は言った「疑え」と。結果 彼は誰も信頼せず、資料を共有しないで殺された。先生は言った「信じろ」と。結果 彼は自らの信念に従って殺人も厭わなくなった。これが「知」に関わった者の末路です」
学問も真理も人間には荷が重く、大学なんてバカらしいと。2025/3/21
司祭
「どちらか選択する必要がありますか?「疑念」と「信念」、2つ持っていて不都合が?」
アルベルト
「ええ、不都合だ。その2つは矛盾する」
司祭はそうではないと。
「肉体と魂、理性と信仰、哲学と神学、疑うことと信じること。これらの矛盾は両立します。何故か?――それが人間だからです」2025/3/21
司祭:
「人間は神でも獣でもない、その中間に存在する。でもだからこそ、矛盾を、曖昧を、混乱を、受け入れられる。むしろそこで理性の息継ぎをする」
「話を聞くに、貴方は今、神を失っている。つまり、この世界が存在するという「奇跡」を感じられないでいる」2025/3/21
司祭:
「奇跡」とは、「必然」に満ちた領域で生まれる「偶然」のことであり、同時に「偶然」に満ちた領域で「必然」が生まれることでもあると。
「(昔の貴方は)この世の全てが「奇跡」的だと知っていた。しかし、経験や記憶、過去や故郷、そして痛みと引き換えに「奇跡」まで失ってしまった」2025/3/21
司祭:
貴方が本来生きる場所だった「奇跡」を感じられる世界を取り戻すには……「単純です。空を見ればいいのです。そして深く息を吸う」
アルベルト
「これはそんな簡単な問題じゃないです」
司祭
「もちろん。でも乗り越えられないわけじゃない」2025/3/21
司祭
「コリント人への手紙第10章13節『神は真実な方です。貴方を耐えられない試練に遭わせることはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えて下さいます』」
「……では、貴方が勇気を出して下さったので、私も人には言えない悩みを告白します。それは…」2025/3/21
司祭は語る。
自分は昔、ある仕事で重大な違反を犯した友人を見殺しにした。その罪が重いからこそ、彼を諭し、救うことが重要だったにもかかわらず…と。
(※ここで司祭が、14話でヨレンタを逃がし→<参照ポスト(旧ツイート)へ サイト内転記済> 15話でアントニに殺されたシモンの友人レフだと判明する。CVも同じ!)2025/3/21
司祭
「あの時どうするのが正解だったのか、答えは出ていません。今後も出るかわかりません。しかし1つだけはっきりしてるのは、今日まで私があの過去から目を逸らしてきたことです」2025/3/21
司祭
「でも今初めて、この悩みを言葉にできた。そのせいで今日からより一層苛まれるでしょう。しかし同時に、今日が一歩目になったと信じます」
「それは貴方も同じです。貴方は私に話してくれた。だからきっと進める」
神は私達を認め、いつでも私達の居場所になって下さる。しかしその為には――2025/3/21
司祭
「私達が私達自身を乗り越え、神に向き合わなければならない」「孤独に問い続けなければならない、自分は神に認めてもらえる存在なのだろうかと」
アルベルト
「でも、幾ら悩んで問うても、神は口を開かない」
司祭
「だから永遠に私達は考え続けられるのです。私はそれを幸福だと思いたい」2025/3/21
司祭:
最後に1つ質問を。硬貨を捧げればパンを、税を捧げれば権利を、労働を捧げれば報酬を得られる。「なら一体何を捧げればこの世の全てを知れると思いますか?その答えを探して下さい」
アルベルト
「何の為に?」
司祭:
この世で再び生きる為。その為には「大学に行くのは1つの道だと思いますよ」2025/3/21
<レフ司祭との会話後、アルベルトは再び進み始める>
ラファウ先生から教わったように、指で星座を描く――それが再び、漸く出来た!
星座に満ちた美しい夜空が眼前に!
この世の美しさの追及において何らかの犠牲が出るのはやむをえない との彼の言葉を思い出し「僕も同意見です」。しかし…2025/3/21
父は隠そうとし先生は排除しようと。どちらも「美しさ」には到達できなかった。
人間は1人1人では足りない。だから補い合える。逆に言えば補い合わなくてはこの世界には挑めない。「人間は社会的な動物だ」とアルベルト。
彼は、疑いながら進み、信じながら戻り、迷いつつ「美しさ」に進むことを誓う。2025/3/21
<引き継がれるもの>
アルベルトは、ブルゼフスキの姓で大学に入学。
全4章それぞれの主人公達が、背後から映し出される。
十字に吊るされ星空見つめる少年ラファウ(の遺体)、絞首刑直前に星空見つめるオクジー、死の直前に朝日に歓喜するドゥラカ、そして明るい日中の空を見つめるアルベルト。2025/3/21
街を歩いてたアルベルトは、ある住民と郵便配達員との会話を偶然耳にする。
住民は、自分は手紙の宛先となってるポトツキではないと。そして手紙の内容を読みあげる。
「権利書。以下の著作物が出版された際利益の1割を贈与します」。本の題名は『地球の運動について』。
――地球の運動について?2025/3/21
アルベルトは、当時の常識「天動説」とは異なる認識の本のタイトルを聞き、「?」。
この後、アルベルト・ブルゼフスキという実在の人物の略歴が字幕とナレーションで。
彼は地動説を唱えたコペルニクスの師であった!
ラストは作品タイトル「チ。」。
「。」が地球。それが「チ」を回る映像で、END。2025/3/21
ここからは、アニメ『チ。-地球の運動について-』を見た私の感想の一部をごく簡単に…。
後日、原作漫画を読んでの感想ポストをUPする予定なので、そのさいにも…。2025/3/21
【弁証法】
私は、この物語は弁証法に貫かれてると感じたのだが。
ノヴァク、アントニ、ドゥルーヴといった人物の投入からも。(バデーニも…かな)
なによりラファウ2形態の投入からも!
彼(彼ら)の存在は、通常のストーリー物の常識からは逸脱してるが、この物語全体では欠かせない要素になっている。2025/3/21
【ラファウ2形態】
少年ラファウと、青年ラファウ(ラファウ先生)。
ストーリー上では別人。しかしテーマ上では同類であり、メッセージ性を高める上では欠かせなかったと感じた。
【ポトツキ】
彼について触れたラファウの1文は、地動説の花押のようになって引き継がれていった。2025/3/21
【バデーニのトンデモ性格・ヨレンタの「文字」を通じた想像力・ドゥラカの高い知性】
私は秀逸だと感じた。
バデーニは、傲慢さではラファウ以上のものがあったものの、倫理は外さなかった。
【娘の手を持ってのノヴァクの最期】
驚いた。こんなシーンを描いたのがまだ20代の人だとは…!2025/3/21
【誰の人生も無駄にはなっていない】
ドゥラカの労苦は報われた。ただし本のタイトルしか伝わらなかった…。
25話全てでそういう傾向だ。僅かな情報しか伝わらないのだ。個々人の人生についても。
天寿を全うできない者ばかり。しかも彼らの名は残らない。
それでも確実に、歴史を作る礎になってる。2025/3/21
【不満】
個々人の人生について断片しか描かれてないこと。
ポトツキ、クラボフスキと彼の住んでた村の人々、レヴァンドロフスキら異端戦線の面々……はどうなったのか?
描かないのは物語のスタンスだと理解はしてるが、それでもヨレンタの25年間は、暗示する程度にでも描いた方が良かったのではと。2025/3/21
『チ。-地球の運動について-』
知/哲学/宗教……が、前面に叩き出されてる。
初めてじゃないのか、こんなに本格的なのは。
その点で、日本の漫画/アニメの進化の最前線に立つ作品だと言える。
キリスト教世界での話だが、他宗教への翻訳は十分に可能だと思う。アニミズムや無宗教の概念も出てくるし。2025/3/21
「チ」は、地動説の「地」を意味するだけでなく、「知」「血」「値」も意味できる。それが実際作品上で表現されていた。
(ネット上には「痴」「恥」も意味できるとした意見も)
ただコレら、日本語限定での表現。
海外には、どうやってこの意味を伝えているんだろう…?2025/3/21
(略)『チ。-地球の運動について-』:
4月より、Eテレ2枠で再放送。全25話。
毎週土曜 夜9時15分 <4/5スタート> 毎週水曜 午前0時 ※火曜深夜 <4/9スタート>
少しネタバレすると、全4章で、それぞれに主人公が。
拷問シーンは容赦ないので、その点だけは覚悟を。2025/3/21
追加! アニメ『チ。-地球の運動について-』25話(最終話):
年齢を重ねて「拷問と恐怖の上に成り立つ救済などない」との境地に至った司祭ダミアン。(19話にて) 司祭レフも、同じような境地に?
最終話でも、EDのラスト映像を変えていた。最後までスタッフの気合が入っていた。2025/3/28
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『チ。-地球の運動について-』原作漫画(単行本全8巻)を読んで:
内容はほぼ同じでも、アニメと漫画とでは表現方法が異なるので、別作品と捉えた方がいい。
漫画では、吹き出し――特にその中の文字の大きさを様々に変えての「演出」が、素晴らしい。
独特の「間(ま)」や「余白」を生み出している!2025/3/28
漫画を読んで気づいたこと。
アニメでは一切触れられなかったヨレンタの母。ヨレンタが14歳時点では生きてたことが、ノヴァクとの父娘会話で!
神の作った世界の美しさを知る為に「聖書ではなく自然を読む」とのフベルトの台詞。アニメ視聴時には気づかなかったが……シュミットの考えに似てる。2025/3/28
漫画。
難解かつ長い台詞は、動きを入れてコマを増やして分割してみたり、前述の様な巧みな「文字演出」を使って、読み手が理解し易いようにと工夫されてる。
独特の「間(ま)」や「余白」は、文字だけでなくコマの絵そのものからも生まれてて、アニメはそれらをうまく解釈し「広げてる」といった印象。2025/3/28
『チ。-地球の運動について-』原作漫画の作者・魚豊氏はまだ20歳代。
「人間や、人間の人生を描くのに、年齢は関係ない」と感じされた作家のひとりだ。
直近では、諫山創氏、幸村誠氏が、私にとっては印象的である。2025/3/28
漫画を読んで気づいたこと に追加→
ノヴァクがヨレンタの父だとわかる箇所が、アニメと漫画とでは違う。
漫画では、バデーニとオクジーとの会合に乗り込んできた場面で。
アニメでは、それ以前の父娘の会話で。顔を隠しても声でw2025/3/28
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『チ。-地球の運動について-』:
地動説を介し描かれてのは、人間の「知」への理屈を超えた傾倒、「真理」求める「好奇心」。それらを後押しする「感動」。結果「歴史」が。
「歴史」には「偶然」と「必然」、様々な名も無き人々による「継承」が。
現世肯定/人間賛歌の物語でもあったが、一方で……
「知」への傾倒が過ぎると「血」を呼びかねない。その危険にも触れられていた。
2人のラファウは、その象徴として描かれていた。 ヨレンタの語った「呪い」も…。
(ヨレンタは、25年間の間に何度も「血」を呼ぶ事態に遭ってきたのだろう。……ああっ、彼女の25年間が知りたい!)2025/3/28
全4章のうち1~3章に出てくるノヴァク。
時の権力に従う司法関係者で、少年ラファウの死に動揺するも、娘の死の情報は疑わず、ある意味思考停止していた。
権力に裏切られたことに気づいた後もドゥラカを殺す。
娘ヨレンタを思う心は尊くも、私的には許せない行為!
こういう人間は少なくないものの…。2025/3/28
全4章通じ、理系の研究者や、時の権力に従う司法関係者が多い中、2章と3章の主人公はそれらとは距離を置く。
2章の主人公オクジーは文学者? 3章の主人公ドゥラカは、客観的な状況判断に優れたプロデューサー/広報担当者/交渉人的立場にいる。
2人を橋渡しにし、研究者(1章)から再び研究者(4章)へ。2025/3/28
印象的な台詞の一部:
フベルト
「不正解は無意味を意味しない」
ラファウ先生
「知(の探究)が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ」(←基礎研究の否定に繋がる!)2025/3/28
オクジー
「「自らが間違ってる可能性」を肯定する姿勢」は大事。「第三者による反論が許されないならそれは「信仰」」 (許さない人は「信者」? 「信者」の全てがそうとは言えないだろうが…)
ドゥラカ
「社会から神が消えても、ヒトの心から神は消せない」(それはどんな神にも言えること!)2025/3/28
改めて『チ。-地球の運動について-』:
知/哲学/宗教……が、本格的に前面に押し出された初めての作品ではないかと。
その点で、日本の漫画/アニメの進化の最前線に立つ作品だと言える。
キリスト教世界での話だが、他宗教への翻訳は十分に可能だと思う。アニミズムや無宗教の概念も出てくるし。2025/3/28
なお海外への「布教」には、映画が最適ではないかと思う。
漫画なら全巻、TVアニメでは25話全てを見ないと、誤解されてしまう部分があるために。2025/3/28
『チ。-地球の運動について-』の感想等を記したポストは、「遊星仮面ファンサイト」https://yusei-kamen.info 内の専用頁に転記→
アニメ1~15話https://yusei-kamen.info/revalue/chikyu_chi1.html
アニメ16~21話https://yusei-kamen.info/revalue/chikyu_chi2.html
アニメ22~24話https://yusei-kamen.info/revalue/chikyu_chi3.html
アニメ25話+原作漫画 他https://yusei-kamen.info/revalue/chikyu_chi3.html2025/4/1
2000年代の『鋼の錬金術師』(2003~2004年版)、
2010年代からの『進撃の巨人』、
2020年代の『チ。-地球の運動について-』。
――私にとってのアニメの大傑作、確定だ!2025/4/2