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『チ。―地球の運動について―』。「禁じられた真理」を探求する人々を描いた一大叙事詩。(←公式HPより。)
このページには、TVアニメ版の感想を記した、2024年10月11日以降のX(旧ツイッター)上での記述を転記しています。
それらを時系列に並べ、適当なところで区切り、下記のように並べてみました。
クリックすると、このページ内の記述箇所に移動します。
略する場合は(略)と記載。あからさまな誤字脱字は訂正。URLはほぼ削除か該当するページ名に変更。それ以外では原則原文を記載。(重要箇所にはリンクや太字や色づけなどの処理も。)
『チ。―地球の運動について―』:
アニメ公式HPの説明では、「地動説を証明することに、自らの信念と命を懸けた者たちの物語」と…。
1、2話を見た。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」だ!
人間は、真実を追い求め、真理を極めようとする欲求に抗えない生き物であることが、明確に表現されてる。2024/10/11
数学/科学において「美しさ」を重視するのも人間。(だからアインシュタインの「E=mc2」は賞賛される)
主人公の少年は、まさにそういう類の人間。
元々孤児。頭脳明晰の合理主義者で世渡り上手。一方で天文学に深く傾倒。――それを見抜いた異端の天文学者は、命を懸けて彼に禁断の「地動説」研究を託す。2024/10/11
『チ。―地球の運動について―』。
原作漫画は未読で、アニメも見始めたばかりだが……
抽象物に命を懸けるという、ある意味人間を人間たらしめる行動を描いた作品なのか?
だったら同じような漫画作品には、例えばシュトヘル』(作:伊藤悠)がある。
こちらの場合は、「文字」を守り伝えることだった。2024/10/11
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『チ。―地球の運動について―』3話:
少年ラファウは、義父の教え子フベルト(2話で刑死)の影響受け、禁断の地動説を研究。
改心迫るが、彼は公の場でそれを拒否し、命を絶つ。
直前のノヴァクとの会話が凄い! 次より。2024/10/19
ラファウ
「敵は手強いですよ。あなた方が相手にしてるのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の想像力であり好奇心であり、畢竟。――それは知性だ」「それは流行り病のように増殖する。宿主さえ制御不能だ。1組織が手懐けられるほど可愛げのあるものじゃない」2024/10/19
ノヴァク「では勝つのは君か?この選択は、君の未来にとって正解だと思うのか?」
ラファウ「そりゃ不正解でしょ。でも不正解は無意味を意味しません」
※不正解は無意味を意味せず とはフベルトの言葉。
※ノヴァクは戸惑ってた。子どもを拷問しなければならなくなったことに。
(省略)2024/10/19
ラファウ
「死の先なんか誰も知りませんよ。ソクラテス曰く「誰も死を味わってないのに誰もが最大の悪であるかのように決めつける」。エピクロス曰く「我々のある所に死はない 死のある所に我々はない」。セネカ曰く「生は適切に活用すれば十分に長い」。――僕はその全てに賛成です」2024/10/19
ノヴァク「(略)2千年近くも前の愚かな異教徒の(略)言葉が何になる!」
ラファウ「感動できる…」「フベルトさんは死んで消えた。でもあの人のくれた感動は今も消えない。多分感動は寿命の長さより大切なものだと思う。だからこの場は僕の命にかえてでもこの感動を生き残らせる」2024/10/19
ノヴァク「正気じゃない。ワケもわからんものに熱中して命すら投げる。そんな状態を「狂気」だとは思わないのか!?」
ラファウ「確かに。でもそんなのを「愛」とも言えそうです」…
翌日、ノヴァクはラファウの遺体を火あぶりに。
そして10年後、ラファウが隠し通し遺した知識を継承する者が?!2024/10/19
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『チ。―地球の運動について―』4話:
主人公は、知識?真理?意思? テーマは継承?…
ラファウの死から10年。ノヴァクは健在。
現世に絶望し天国行きに賭ける「代闘士」オクジー。
彼の上司で、悲運のなか天文に希望を見出すも…挫折するグラス。
ある「異端者」移送に同行した2人は、彼の言葉に動揺し…。2024/10/26
台詞の内容が凄い! その一部:
若いオクジー
「我々の世界はなんで汚れているのですか?」
司教
「それは地球が宇宙の中心だからだよ。(略)中心というのは一番底辺ということだよ。(略)神様がそうお創りになられた。(略)地球は位が低く穢れていてそこに住む人類は無力で罪深いと思い知らせる為だよ」2024/10/26
グラス
「この世に期待しなくなると我々の魂は瞬く間に濁ってしまう。好きとか夢とか希望とか そういうモノは捨てちゃダメだ!」
……家族を全て失うという悲運に見舞われていたグラスは、このとき<火星の美しい動き>に希望を見出していた。
しかしその動きは予想通りにならず、落胆…。2024/10/26
「異端者」の語りが凄い!→
「2000年前アテナイの老人が毒杯をあおった惨事から今の哲学が生まれた。1500年前1人の青年が磔にされた無念が今の教会を形作った。人は悲劇を肥やしに、時に新たな希望を生み出す」
「その場しのぎの慰めなんか現実を変えやしない。だが芯から湧き出た苦悩は…」2024/10/26
「煮詰められた挫折は 或いは君の絶望は 希望に転化しうるのだ。なのに君らは絶望に目を塞ぎ誰かがくれた死後の保証付の人生を生きている。そんな人間に希望など訪れない」
「君自身が心の底では天国を信じ切れてない」「人類は正面から向き合うべきだ。(略)天国なぞないのかもしれないということに」2024/10/26
「だがこの星(地球)は天国なんかよりも美しい」「この星は生きるに値する素晴らしい何か」
「根拠はある。(略)今ちょうど見えるそこの山だ。全ての証拠はあの中腹に置かれた石箱の中に」
――おそらくはラファウが遺した資料!
反発続けるオグジーをよそに、グラスは「異端者」の拘束を解く。
次回…2024/10/26
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『チ。―地球の運動について―』5話:
家族と暮らした現世を肯定したいグラス。現世は天国より素晴らしいと信じたい<異端者>。
それは単なる希望ではなく事実――との確信は、石箱の中身を手に取ることで。
すると、確信をより強めたい欲求が沸き起こり、それは命の危機を前にし「伝えたい」欲求に転化!2024/11/2
石箱の中には、命を超えて「伝える」ことに自らの存在意義を見出したラファウのメッセージも。
グラスと<異端者>は、ノヴァクの追撃や突発的事故からオクジーを守り、石箱の中身(書類)を彼に託す。
オクジーは天国にしか価値を見出せないと言うが、本音それには納得してないことが見抜かれてたのだ。2024/11/2
託されたオクジーは、グラスの指示通り、ある異端の修道士のもとへ…。
以上が5話。
流れはいいが、展開の仕方がちと不自然。
石箱の発見が異様にスムーズ過ぎ、グラスの台詞も解説に近い感が。
更にネット上には画面の暗さに賛否両論。 当時の状況再現と、星を美しく見せる演出だと、私は評価するが。2024/11/2
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『チ。―地球の運動について―』6話:
オクジーが対面したのは、傲慢で野心家で超オタクで、並外れた頭脳と強烈な好奇心を持つ修道士バデーニ。
天界の謎、特に惑星の動きの謎を解きたいとの強い欲求から、禁断の書にまで手を伸ばす。だが読む前にバレ、罰として片目を焼かれ左遷され、現在の地に。2024/11/13
何やかんやと好奇心に勝てずバデーニは石箱のもとへ。
中の書類を見、火星の動きのワケに気づく。地球が動いてるからと!
オクジーは、天国より現世を重視した<異端者>とグラスの最期を見た後、今度は、地(現世)と天(天国)は調和し1つだとするバデーニの言葉を聞き、衝撃を。
改めて、空が美しいと。2024/11/13
地球から見た火星の「逆行」現象を、バデーニは「地動説」に沿って、自分とオクジーを使った動きで証明して見せる。
このシーンがこの回最大のキモ!
権威化し膠着化した宗教は、本来の有り様ではなく、人類にとってはむしろ軛に。
オクジーが、そんなモノからの洗脳から脱する過程は、今にも通じる…。2024/11/13
今回の話、原作漫画で読んだ方が面白いかも。
シーンとシーンの繋ぎ目や、キャラの感情表現に関し、アニメで表現するならもっと独自の味があったはずなのに と感じた。
具体的には、長年恐怖で見れずにいた星空を見た時のオクジーの最初の衝撃は表現されてたが、作業中の彼の心情はわからないまま…。2024/11/13
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『チ。-地球の運動について-』7話:
ノヴァクの娘ヨレンタ。聡明で天文学に夢中だが、時は女性蔑視の時代。成果を横取りされ凹む中、街の掲示板に貼られた難問に興味持ち、解く。
それは、高い知性と高度な情報を持つ者を得る為、バデーニが仕掛けたものだった。ラファウの成果をより完璧にする為に。2024/11/15
「良かれと思って」との傲慢で無自覚な差別を受けることは、身の危機はなくとも心は砕ける。
女性というだけで能力が生かされず排斥されることは現在でも起きてるだけに、ヨレンタの不遇を見てると同じ女性として心が痛い!
そんな彼女が、バデーニと、彼の助手になったオクジーと出会うのが物語ラスト。2024/11/15
オクジーは、ぶっちゃけ殺しが生業だが魂は純粋で、ラファウの遺言にも心を寄せ、聖職者のバデーニよりよっぽど聖職者に近い?
バデーニは、傲慢で自己中で弱者への情けなどこれっぽっちもない。が、ここまでブッ飛んでないと時代を切り開けないかもしれない。
ノヴァクはどんどん人間味を帯びていく。2024/11/15